前回は、身を軽くするために、持ち物の整理をした話を書いた。
今日は、心を軽くしてきたことを書く。
私は、現職中、ずいぶん、いや殆ど義務とか義理ですごしてきたことを、今になって思うと、なんと煩わしい世界で生きてきたのであろうかと考えている。
そう、多くの義務や義理から遠ざかる、これも老い支度の一つだ。おつきあいの結婚式などの祝い事、おつきあいの告別式などの忌みごと、そんなのは、世間の狭くなった老人には必要のないことだ。
お中元、お歳暮、お年賀もその多くを中止した。一番はじめに私がやったことは、年賀を書かなくなったことである。自ら世間を狭めた。気が楽になった。年賀状をやめて10年。もう、年賀のくることもなくなった。寂しくはない。おつきあいが定年を境に途絶えたのだ。退職職員の会にも入っていない。退職してまで、元職とつきあう必要性をいっこうに感じない。趣味の世界も集いを持つものからはすべて、手を引いた。書道の会、お茶の会、写真の会、俳句の会、小説の同人会、三味線の会などなど、あらゆる会から身を引いた。今、私は、ほんとに自分の好きなものを自分のできる範囲でやっている。書は、床の間に掛けるものを時たま書き、お茶は気の向くときに点て、写真は散歩に出るときにライカとベッサーを持ち出し、俳句は近辺の四季の移り変わりを詠み、小説は、超短編を気の向くときに書く。すべてが、気の向くままに動けるのが楽しい。
小説やエッセイを書くときは、必ず筆記具として万年筆やペンを用いて原稿用紙に書く。背広ともお別れをし、和服で過ごす。おおかたの人払いをしたので気が楽になった。その分、私から世間が無くなった。それでいいと納得している。気が楽になったのだ。
老人は、義務や義理からの脱出も必要だと思う。










