去る3月に、書斎を吹き払ったとき、書籍のほとんどを処分した。と同時に、私用の日常使いのものを全部処分し、それでも、家に持ち帰ったものは10箱ほどあった。
辞令や賞状、手帳や執務日誌、仕事に関する書籍などすべて灰にしてしまった。処分するときは、ずいぶん迷ったが、長い間、開くことすらなかったそれらのものは、塵芥でしかない。
うれしい辞令もあったが、見るのも嫌な辞令もあった。読み返して、後悔の念に駆られる記述のある手帳もあった。擦り切れるほど読み返した法律の本などは、嫌悪そのものである。観念論哲学のすべての本たちは、ついにページをめくることすらなく処分された。多くのレコードやレーザーディスクは処分され、オペラと数十枚の弦楽曲と交響曲が残った。数万枚のそれらが処分されたのだ。書棚の一角を陣取っていた書道関係の本、茶道関係の本、香道関係の本、写真関係の本は、跡形もなく消えたし、心理学、社会学、宗教学の本たちもみな去っていった。せいせいした気分で家に戻ったが、エリアーデの幻想小説を読んでいるとき、彼の全集を廃棄したことに気づき、残念に思ったものだ。廃版になっていてもうない。さっそく図書館へ走り、目当ての本を借りてきた。
茶道具も香道具も、なくなった。と同時に、茶の道も香の道も書の道も絶った。
高価な茶道具や香木、筆や硯も処分したとき、私は、これから死にいたるまでの間、何を捨てるかを考え続けることを決心した。死ぬ時には、本当にちょっとした下着と二枚の和服とひと組の布団とひと組の茶わんや皿だけになっていることを予測している。
数十台有ったデジタル写真機も銀塩写真機もほとんど廃棄し、ライカとキャノンデジタル一眼とキャノンF−1だけを一台ずつ残した。これらも、いずれは、処分する。
私は、いま、70歳である。新聞の死亡広告に70代は多い。いつお呼びがかかるか、わから無い毎日を、いまは唯、安穏と暮らしている。
身の周りのものばかりではなく、現役時代70キロ余有った体重も、今は50キロをわって、自分の贅肉も捨てている。老いをせいせいした気分ですごしたいと思っている。兼好法師の気持ちがわかる年代になった。










