は、ベッドの本立てに、
一台はパソコンの側に、一台は携帯用として、和布製のショルダ
ーバッグに、一台は、トイレの書籍コーナーに置いてある。
私が、カシオ電子辞書を利用するのは、主に、エッセイや小説や
詩や句作をしたりするとき、英文日記や英文の小説を読んだり、
メールで送られてくる、ワシントンポストやニューヨークタイム
スなど外国紙を読むとき、解らない用語を調べるときなどである。
これまで、言葉は、広辞苑や、日本国語大辞典全10巻や大漢和
辞典や諸橋漢和辞典全14巻、英語版のブリタニカおよびインタ
ーナショナルエンサイクロペディア全20巻およびワンダフルワ
ールド全17巻など、また、小学館の百科事典、研究社の大英和、
和英辞典、古語大辞典、俳句歳時記全5巻等々を、使ってきた。
ところが、確か初めは、キャノンからデータディスクマンが出て、
ディスクを交換しながら、机上の友として愛用してきた。その後、
カシオからとてつもない容量の電子辞書が発売され、それから、
カシオの多機能時計プロ・トレックたち共々、カシオのファンにな
った。
これら便利な電子辞書があっても、最後には、必ず、重い書籍を
引っ張り出し、使用することガ多々ある。
このように、私はまだ、書籍の辞典類を重宝して愛用しているが
、それには、私の感情と、一種の意固地さがあるように思う。
液晶の活字と、紙の上の活字では、私にとっては、雲泥の差をも
って迫ってくる感覚なのだ。永遠不滅を書籍の辞書のそれとする
ならば、電子辞書は儚きものとしてしか存在し得ないものとして
認識される。
私にとっては、便利ではあるが、存在感がないのである。
今は、たっぷりした時間の中で生活をしている。一頃のように、
時間とかけっこはしない。そうしたこともあって、書籍の持ち運
びに不便なところ、寝室、トイレ、携帯用としてそれぞれそろえ
たのである。
英語系の電子辞書は、パソコンの側に置いてある。ワシントンポ
ストやニューヨークタイムス、タイムス(ロンドン)、USトゥデ
イなど外国紙を読むときの参考になる。
一頃は、コンサイスの英和、和英をポケットに忍ばせて居たが、
今は、電子辞書一台をショルダーバッグに忍ばせておけば、如何
なる場面にも対応できる。
ほんとにありがたい世の中になったものだ。
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