品よく老いたいが・・・・・
今、二通りの老人がいる。裕福に生活している極一部の老人と、貧困にあえいでいる多くの老人達である。裕福に生活している老人も、生活苦にあえいでいる老人も、ともに、老衰、老獪、老猾、老醜,加齢臭、人格喪失の棺から逃れることはできない。これらはどの老人にも平等にやってくる。思い出しただけでも,老いのマイナスイメージは多い。加えて疑い深く,卑屈で,意地悪で一言居士で,反面、騙されやすく,頑固で,お人好しで,おおらかでもある。
若い人が,「自分は,どんな風に加齢したい」と望み,その努力をするのは解るが,すでに、老域に達した者が,如何に老い、如何に死ぬかを考える事が富裕層の書く老人にkとって、ブームのようになり、その面の講座、本などが沢山出ている。また、余生(?)を趣味で楽しく生きるための本やサークル、ひと昔の老人たちには考えられないほどの贅沢な環境にある。ある意味で,老人は今のところもっとも裕福で有り余った時間を自分探しに使っているとみられている。
自分探しは,昔、若者の特権であった。今、自分探しは老人の趣味である。自分探しの旅に出るために若者は,読書をし、先達の話を聞き,飽くなき自己確立を目指していた。今もそうだとは思うが,不就労者の問題や世間を騒がす事件のみがメディアに乗り、今の若者が何を考えているのか解らない状況にさせられている。これはまずいことだ。
同じく老いについても,悲しい事件がメディアに乗り、老人のさらに老後が不安になる。あるがままでいいと思うのだが,自分のあり方を考えさせられる。これもまずいことだ。
「老人の品格」という本を何度も読んだ。品格を保つ5箇条がある。
「健康であること」
「脳を鍛えること」
「感動すること」
「奢らぬこと」
「おしゃれ感覚をもつこと」
どう考えても,裕福な老人にしか出来ないことのように思える。「老いはもともと不健康である」「老いるとは脳の衰退を意味する」「世の辛酸をなめ尽くした老人にある感動は,単なるノスタルジーであり、死の不安への回避策でしかない」「奢るほど裕福でないし、むしろ、卑屈になることが多い」「おしゃれ感覚は,そう簡単には身につかない。英国の紳士教育も日本のわびさびも解らないからである」年をとると、身なりに余りかまわなくなる。特に男はそうである。こだわりが無くなる。こだわっても意味がないのである。こだわりを理解してくれたり、見せつけたりする社会がすでに無くなっている。すなわち、ひとりぼっちなのだ。実に寂しいねえ。
何十冊も「老い」に関する本を読んで来て,自分を含めて、結局は,老獪、老猾な老人が多い事が解っただけである。
「まだ死をば引き受けきれぬ洟ったれ」
(俳誌「俳句界」俳句バトルで準々決勝まで進んだ作品です。)







